皆さんが子供の頃、抱いていた夢はどんな夢でしたか?
時代と共に夢や憧れの職業は変化していきますが、ボクが子供の頃の夢や将来なりたい職業といったら、プロ野球の選手やパイロットが上位に入っていました。ボクの周りには「レーサーになりたい」という友人が何人かいましたし、ボクもその1人でした。
子供の頃の可能性は無限大です。彼らは、何にだってなれる可能性を秘めています。では子供の頃に描いていた夢を実現できた人とそうでなかった人の違いは何か?というと途中で諦めたか否かということです。小中学生の頃は、自分が立っている場所と夢までの距離がまだ見えていません。だから、がむしゃらに夢に向かって突き進んで行けばいいのです。高校生くらいになって、夢を実現する可能性と残された時間を少しずつ意識するようになります。そして多くの人が二十歳を過ぎた頃から、何となく自分の立ち位置と夢までの距離を計算し、就職という現実の中で自分の将来を逆算し始め、いつしか夢は心の奥に仕舞い込み、そしてその夢と決別していくのです。
ただこれは決して間違った選択ではないのです。スポーツ選手や弁護士、医師を夢見ることは、素晴らしいことです。ただ無期限に夢を追うことは、精神的にも金銭的にも無理が生じますし、職業によっては時間的な制約も発生します。ですから現実を踏まえて自分の将来を見据え、決断をすることは非常に有益で論理的な判断だと思います。
もしかしたら夢を実現した人は、普通の人より頑固で強情なのかも知れません。でも一部とは言え、子供の頃に憧れた職業に就けた人がいます。目標を見失わず、ただひたすら愚直に突き進んだ結果だと思います。だからボクは、そういう人に対して畏敬の念を持つのです。
今から二十数年前に神野(こうの)君という大学生が大井松田に遊びに来ていました。当時、彼は友人と一緒にカートに乗っていました。恐らくボクがカートランド来て直ぐの1998年頃だったと思います。就職してからも数年に一度、顔を出してくれ近況を報告してくれるような青年でした。何年か前に来た時「僕、F1のエンジニアになれそうなんです。フォースインディアに内定が決まりました。来週からイギリスに行って来ます」と、わざわざ報告に来てくれました。以前から夢はF1のエンジニアになることだ、と聞いていたのでその報告を聞いた時は、彼はずっとその夢を諦めていなかったのだ、という尊敬に近い驚きと、F1エンジニアという狭き門に日本人が加入するということに、 ボク自身がその可能性に後ろ向きのイメージを持っていたことを感じ、彼に対して申し訳ない気持ちになったのでした。最近ではTwitterで彼のことを目にする機会も増えているのですが、彼がどうやってF1エンジニアになったのかをブログにまとめてあるのを見つけ、一気に読み込みました。そこにはボクが知らなかった挫折や苦悩、そして絶望が書かれていました。でも彼は諦めなかったのです。何が何でもF1エンジニアになってやるんだ!という不屈の精神が、彼を支え彼を後押した結果だと思います。そして奥様の深い理解が、更に彼に勇気と力を与えてくれたのだと思いました。
ある著名な方の講演を聞いた時に「夢は諦めなかったらいつか叶う、諦めた時に夢は消えて無くなる」と言っていました。そして「夢は口に出して言いなさい」とも言っていました。神野君も同じことをブログで書いています。
それでも夢を叶えるのは簡単なことではありません。夢を目指して歩いて行くと、辛く苦しい道のりが待っています。それでもその道を歩き、時には道に迷い、悪路で転んで怪我をしても歩き続けた人だけが、夢を叶えることが出来るのです。
『諦めなければ夢は叶う!』そう信じて歩き続けてください。
今、夢を目指している全ての人に、心からエールを送ります。
僕がF1エンジニアになるまで ~神野研一~